まとめ感想 - 2016年度 群馬県大会

県大会おつかれさまでした。今年の傾向としては、顧問の趣味……顧問プロデュースのような作品が減ったなと感じました。地区大会の一覧表みると、単に県大会に上がれなかったというのもあるみたいですけど。

審査について

毎年書いていますか、今年の審査基準は特に疑問でした。

「芝居に真実味があるか。信用できるか。その場で起こっているように感じられるか」

という基準だそうですが、それを優先するなら順位がおかしい。人によって意見が別れるのかも知れませんが、真実味があるためには舞台上であからさまな嘘がなく人物がそこに存在していと感じられることが必要で、前者には設定や台詞や装置に大きな嘘がないこと、後者にはちゃんと心のこもった(気持ちを作った)演技が必要です。前者についても後者についても審査員の方々は一体どこを見ていたんだろうと思いました。

関東に行った学校が悪いというのではなく、テーマの解釈や全体としての完成度、それに伴う演出、ちゃんと内容が伝わったかなどを考えると評価は高いです。つまりは「審査基準として言ってること」と「実際の評価基準」が違うんじゃないかなという話です。

桐生第一高校「問題の無い私たち」でも触れられていることですが、「結局審査員の好みなんじゃない?」と思われないためにも、もう少し分かりやすい基準があってもいいと思うし、台本はあまり評価の対象に含めいないほうが良いような気もします。そういう基準だと既成台本が不利になったり、上演校が好きな台本を選べなくなるばかり。

とはいえ、突出して(誰が見ても)最優秀という上演校がなかったのもまた事実であるので、努力次第でどの高校にもチャンスがありますよ! とも言えます。

気になったこと

さて、上演を見てていくつか気になったことがあって、一生懸命演じてるんだけど動きや演技が「型」になってしまっている高校がとても多かった。

  • 泣いている演技なので、うぇーんと泣く
  • 悲しい演技なので、うつむく
  • 怯える演技なので、縮こまる

気持ちは分かる。分かるんだけど、コメディでないならそういうあからさまな演技はリアリティがないのです。「ここは怯えるシーンだから怯えよう」じゃなくて、登場人物の気持ちになって、相手に対して本当に怯える。その怯えた結果として行動が現れるのでなければいけません。泣くのも、悲しむのも、喜ぶのも、すべての感情演技に言えることです。

二つ目。踊ってる学校が多かったけども、踊るのならちゃんと踊ってください。高校演劇できれいな踊りを見た記憶がほとんどありません。みんなで揃えるのはもちろんですが、揃えることよりも個々人の踊りで注意してほしいことがあります。

  • 指先から足先まで神経を張り巡らせて踊ってください。
  • 踊りは静止と動きの連続です。静止が出来てない踊りほど汚らしいものはありません。

ダンスはメリハリです。綺麗な静止ポーズと綺麗な静止ポーズの中間が動作になります。なんとなく踊るくらいなら踊らないでほしいとすら思います。

もう一つ気になったのは、完全に照明を落とさないブルー暗転が増えたことですね。ブルー暗転は、暗転中でも舞台が見えるのでバミリの必要がないことなど上演する側に利点はありますが、客席からも動きが十分見えるので「この後どうなるんだろう」というワクワク感が薄くなります。できればちゃんと暗転してほしいかなと思いました。

終わりに

今年も上演校および関係者の皆様おつかれさまでした。これらの感想が少しでも何かの役に立つことを願います。

県立前橋高校「ON AIR」

  • 作:古澤 春一(既成)→台本はこちら
  • 翻案:群馬県立前橋高等学校演劇部
  • 演出:加藤 奏汰
  • 最優秀賞(関東大会へ)

あらすじ・概要

あおぞら高校文化祭にて放送される校内放送「あおぞらラジオ」。しかしその放送にはとある秘密があった。

感想

舞台上にはラジオの放送卓と、卓上の小型ミキサーやペットボトル(水)などが置かれ、ひと目で放送ブースとわかります。その中で進行する一人芝居になります。台本とは高校名とか主人公の名前とか変えて、ラジオドラマやはがきなどかなり脚色されているようです。

この役者さんが発声がよくFMラジオチックな魅力のある男の一人喋りを聞かせてくれます。聞いているだけでも心地よい不思議な時間が流れます。途中のラジオドラマシーンなどでは3人分の登場人物を即座に演じ分け、それでまた違和感なく進行します。とても素晴らしいです。

迷いがなく滞りもなく、立板に流れに水のごとく流暢に喋りと舞台が進行し、この演劇はどこに行くんだろう?と思わせてくれます。途中のラジオドラマでは完全に笑いを取り、観客の心を掴みます。さすがの最優秀賞です……と終われればよかったのですが(苦笑)


文化祭の生放送ラジオという建前で進行しているため、見ていてものすごい違和感を覚えます。

  1. 放送中にサブブース(放送スタッフ)とやり取りしている様子が全くない。
  2. はがきを、淀みなく流暢に読み続ける。
  3. 進行表(タイムテーブル)を確認している様子も、時計を確認している様子もない。

このうち1番目は問題ありません。実際には一人でやっている録音というオチにつながるので、この違和感は正常です。

しかし問題は2番目、3番目です。実際に10分でもいいので、どんなに準備しても良いので「生放送ラジオ」(無編集本番)というものをやってみると分かるのですが、一度も「えーっと」みたいにならず進行することなど不可能です。それは実際のラジオの生放送(一人喋り)を聞いてみればすぐに分かることですが、次のはがきを探したり、次の進行を一瞬考える「間」だったり、時計や進行表を確認して時間配分をどうするかという「迷い」があります。

はがき等は、字のうまい下手もあり簡単に読めないこともありますし、フォーマットが決まっているわけではないので、ラジオネームを書く場所も人によってバラバラです。裏側にラジオネームを書く人も入れば、表側に書く人もいますし、そもそもラジオネームを書かない人も居ます。このようなラジオネームを探す「間」なんて、実際のラジオを聞いていれば飽きるほど見かけるシーンです。

しかもこれらの「間」はプロが行って、サブに数人のスタッフがいる状態でも起きます。放送部員とはいえ素人がサブのスタッフが居ない状態で行って「間」が発生しないことはあり得ません

つまり「本当に放送している」というリアリティがまるでないのです。これがこの演劇の最大の問題点です。*1

リアリティの欠如は以下の点でも見られます。

  • 卓上で操作してないのに、SEやBGMがタイミング良く鳴っている。*2
  • ラジオドラマの効果音が、ラジオドラマの効果音の付け方ではなく演劇の効果音の付け方になっている。*3

上演を見ているだけで、とても練習されて、いっぱいいっぱい努力されているのはよく分かるんです。それは本当によく分かるのですが「練習して練習して練習して、もう全部、台本の最初から最後まで頭に入った状態で、一度それをすべて忘れてリアクションをする(初めて経験したことだと見せる)」という、演劇の基本要素をクリアできていないことも悲しいながらまた事実です。ラジオ生本番というのもは、完全に練習されて流れるように演じてしまってはいけないのです。

「一言一句すべての台本が用意されたラジオ放送であり、主人公は並々ならぬ情熱でそれをすべて頭に入れた」

という反論が成り立つかどうか。それは、その意見を(多数の)観客が「妥当だ」と判断できるかどうかで考えると良いです。個人的意見としては「そんなものはラジオ放送とは言わないし、それを納得させる説得力は舞台になかった」と思います。

関東大会前に本物の生放送ラジオやラジオドラマをよくよく研究されることを切に願います。


色々述べてしまいましたが、一人舞台という難しいものに挑戦し、それを見事に演じきり、ものすごい量の練習を重ね、滞りのない舞台を完成させたことはすばらしいと思います。ちゃんと笑えたり、観客を楽しませたりする劇を上演するというのは簡単なことではありません。上演おつかれさまでした。

*1 : 今年の審査基準は「舞台上で本当に起こっていると感じられたか」だそうですが、その基準でこの高校を最優秀賞に選んだ審査員の感覚は甚だ疑問です。

*2 : 設定上は存在しないサブのスタッフが仮に居るとしても、きっかけ合わせをしている様子がまるでない

*3 : おそらく、まともにラジオドラマを聞いて研究するということを行っていない。

2016年度 群馬県大会