新島学園高校「BANKA 2004」

脚本:相澤真美 + 古川女子高校演劇部
潤色:新島学園演劇部
演出:(表記なし)

あらすじ

帰宅した、ひなたは家庭科の実習で作りかけの浴衣(朝顔柄)の手伝いを姉に頼む。 そして二人は、お婆ちゃんの77歳の誕生日、7月7日。プレゼント何が欲しい?  と言われたお婆ちゃんは「昔に戻りたい」と答える。 その言葉に応えるるため、ひなたとその姉は、 色々な人の協力を得てその実現を計画する。

【ネタバレ】

1980年代、70年代、60年代……と当時の流行や時代を表すモノと共に、アト ラクションを交えて時代を逆行。やがて時代は戦中に。 竹槍、そして空襲の音。そこで突然リアルな時代に交錯する。 防空壕へ向かおうとするひなりに「行ってはいけない」と懇願する祖母。 祖母の回想。 戦中に母の朝顔柄の浴衣を直して妹のチエにプレゼントした。 空襲により防空壕に逃げたとき、忘れた浴衣を取りに戻ろうとするチエに代わり、 姉であるその祖母が取りに戻った。そして防空壕は空爆により……。 そして現実に戻り、完成した朝顔柄の浴衣を着るひなた。平和な日常。

脚本について

2001年の全国大会において古川女子高校が上演。同校、生徒創作脚本。

参考
http://www.i-stage.org/furukawajyoshi2000.html
http://members.at.infoseek.co.jp/keichan3sai/hukuoka/hutukame.htm
http://www.sala.or.jp/~tetu/Books200206.html#020413

主観的感想

笑わせようとしているのだけど、いまいち笑えない。 理由がちょっと分からない。 間が悪いのか、テンポが押しっぱなしなのか。 笑いはメリハリと間で決まりますから、その辺が不慣れなのかも知れません。

どうやら、上記リンク先を読んでみると、 絶妙な笑いで引きつけつつ戦争の話に真面目に取り組んだ作品という様子。 ですか、結局その引きつけがないせいか、 全体としてやはり少し散漫な作りが全体の印象を悪くしたように感じます。

【全体的に】

最後にスライドで(現代の)戦争の場面が出てくるのですが、 そこまで戦争に取り組みたいのならば、 あのギャグはテーマと乖離しすぎな気がします。 戦争という難しいモチーフを扱う場合、 「どう魅せるか」考えないと纏まりがない感じになってしまいます。 他校でも言えることですが、この点、最大限考慮して演出すべきです。 何がテーマだったのかよく分からなかった……というのが正直な感想。

審査員の講評

【掘】
  • みんな十分に台本の内容を理解して、楽しんで演じていたと思う (見ている人間が楽しくなるために、まず演じている側が楽しまなければ……)。
  • 途中スライドを使っているけども、少々安易な感じがする。 お婆ちゃんへの誕生日プレゼントを送る(登場人物達の)想いとして スライドを見せることは本当に適切だったのか考えてみてほしい。
  • この作品は過去に東北大会でも見ているが、 過去に遡ってお婆ちゃんを楽しませるバーチャルから、 唐突にリアルな戦前に行くところが最も難しい。 「なんだあそこだけ本物?」と思われないように注意する必要がある。
【原】
  • 都合3回、この学校のこの演劇を観ているが、 その度に課題だった点がどんどん改善されて良くなってきている。
  • 安田講堂のパネル(舞台装置)が奥まっていて、少々見づらい。
  • 主役から脇役まで全員頑張っていて、まとまり感があった。
【中】
  • 最初と最後の居間のシーンが、居間っぽく見えない。 位置関係や大きい冷蔵庫が置かれているなど (この冷蔵庫は最後に必要なのは分かるけども)。 家の上手と下手に台が置いてあるが、意図がよく分からなかった。
  • 大きい、スイカが(審査員の中で)好評でした。
  • 衣装がリアルな部分と、多少適当さが感じられる部分があった。 大切なアイテムとなる朝顔柄の浴衣の色が1940年代が赤で、 現代が青になっているが、どうせなら両方同じにしてもよかったのではないか。

渋川女子高校「on the edge」

原案:渋川女子高校演劇部
脚本:平石 祥子(生徒創作)
演出:生方 依子

劇の概要

夜、廃病院の屋上。そこへやってきた少女達は、少女ユキに呼び止められる。 ユキは、落ち着きのある性格ながら言う内容や、やることは無茶苦茶。 そんな少女に、見つかってしまった3人の自殺志望の少女達。 ユキは遺書を紙飛行機にしてみたり、感動するように書き直させてみたりとやりたい放題。 しばらくして「あんたたち、本気で自殺するつもりじゃない」と言って、 3人をフェンスの外側、屋上の際に立たせて「飛び降りたとのシミュレーション」を始める……。

主観的感想

「この作品は、設定、構成、台詞など、すべて1から役者の即興をもとに部員全員で創り上げたものです」 と(パンフの)説明にはありますが、 即興劇が下地であることを感じさせない話造りとユーモアは観ているものを引き込んだ……と思います。 というのも、かなり好みのお話で観ながらのめり込みましたので、 (元々客観的なものではありませんが)以下 ひいき目に書かれていることを予め了解ください。

とにかく登場人物が強烈で、また役柄がとても合っています。 ユキを中心とした登場人物達の個性と、それらが織りなす間がとても良かった。 通常、自殺などをテーマとして扱うと重くなりがちで、話は沈み気味。 テンポは低下し、無駄な独白が増え、全体的にクサくなりますが、 そういうことは一切なく、それでいてきちんと伝えたいことを伝えている点は見事。

気になった点ですが、屋上にやってきた少女達のうち2名の個性が弱かった印象が否めません。 印象の強い2人(残り1人とユキ)を「動」とすれば、この2人は「静」にあたるので仕方のない面もありますが、 「静」は「静」なりに人物の魅力は出せるはずです。 ただ静かおとなしい性格というのではなく、 おとなしいならおとなしいなりの個性をきちんと出して欲しかったと感じました。 また、2回ほど登場する「二人組の大学生」。 UFOを呼ぶために屋上に来ちゃうようなギャグキャラなのですが、 この二人の使い方をもっと慎重にして欲しかった。 話の流れから乖離している二人であるため、出てくるとメイン4人が築いた間とムードをぶちこわしてしまう。 途中、照明をまるでストロボ写真のように使い「パッ」「パッ」と 1コマの情景を切り取って数秒映し出す(人物は静止している)のはとても良かった。

中盤の屋上の際に立つシーンまではすばらしかったのに、 その後の展開が惰性任せでもったいなかった。 もしちゃんとラストまでまとめ上げられたならば……と感じました。 それでもラストシーンは印象的で綺麗でした。

審査員の講評(の主観的抜粋)

  • 廃病院の屋上、フェンスとビルの端。 これらの位置関係が掴みにくく、時にはフェンスを越えて人物が移動しているシーンがあった。 ビルの端は(タイトルにもあるぐらい)この作品において最も重要な点であるから、 この線を越えたら……の「この線」がハッキリと観客に分かるようにしてほしかった。
  • 途中、お客さんを参加させているシーンがあったが、 参加させたらちゃんと最後までフォローして欲しい。 手を挙げさせられたまま、ほっとかれ先に進まれてしまうと、どうしていいかわからず困った。
  • シーンやギャグなどをもっと取捨選択・整理して、洗練してもよかったのではないか。

大泉高校「14歳の国」

脚本:宮澤 章夫
演出:大泉高校演劇部

主観的感想

本自体は結構有名な作品らしい。どうも少年事件などを受けて作られたようで、 全国各地の学校演劇でも使われドラマ化もされた模様。 劇の最初と最後で、凝ったムービーをパソコン&プロジェクターで流したのですか、 そのムービーに本編(劇)が負けてしまったように感じます。

誰もいない教室で始まる、教師5人による持ち物検査。 狙いとしては、そこから矛盾や少年(14歳)について見つめなおそう、 14歳が分からない大人を描き出そうというものらしいのですが、 観た感想としては「なんだか分からない」。役者、演出に大いに不足ありでしょうか。 音響ひとつとっても安易なBGM選択が見られ、 よく知られた曲は「その曲のイメージが強すぎるので注意が必要」であることを気にしてない様子。 舞台上の机も数が多すぎて役者が演じにくそうでした。

演出意図として、この演劇は一体何を描き出したかったのか、 どこを主題として捉え、どの点を浮き彫りにしたかったのかちょっと伝わってきませんでした。 局所的な演技も重要であるけれども、一番大切なのは「どこを全体として描き出すか」であって、 その最も重要な点が抜けてしまっているのが残念。 と思ってスタッフクレジットをみると演出責任者不在のようで……。 物語性があまりなく、断片的な会話とイメージで綴られる比較的難しい台本であるようですが、 それを料理仕切れなかったのかなという印象を持ちました。

審査員の講評(の主観的抜粋)

  • 間の強弱をつけないと、全体的に淡々としてしまう。劇全体が特に変化なくのっぺりと語られている。
  • 教室に対して廊下の位置関係が逆では? 黒板(が存在する位置)を通り抜けて人物が行き来するのは問題あり。
  • 先生が音楽室に居るという意味で、遠くからピアノの音が聞こえるシーンが何度かあるが、 CDか何かのピアノをそのまま流しているので「遠くから音がしている」「ピアノを弾いている」という印象が持てなかった。
  • 次から次に机の物を物色したり何かを見つけているが、 そのとき観客の間というものを考えて欲しかった。 あれやこれやとコロコロと切り替わっていくために、考えが追いつかない。

高崎女子高校「ドロボウの街」

脚本:岡田 美恵子(生徒創作)
演出:岡田 美恵子

※優秀賞(次点校)/創作脚本賞

劇の概要

「私は世界一のドロボウです」で始まる物語。 なんとそのドロボウは人生を奪うドロボウだった。ドロボウに人生を奪われ自分が 何者かも分からなくなった主人公は? 一体何者?

前半はギャグをふんだんに遣い、個性的な登場人物による掛け合いを組み合わせながら、 人数が増やし、だんだんとドロボウの街へと近づいていく。 ドロボウでオークションにかけられる主人公の人生。 実は強盗だった。そんな人生本当に取り返したいのか?  そんな中、一緒にドロボウの街までやってきた警官が 「実は人生を買った人間」であることが分かり……。

主観的感想

劇の主題とも言うべきドロボウの街が出てくるまでが長い。 ドロボウの街、人生のドロボウと言われたら、 観る側としては奪われた人生、を中心に期待してしまう。 そして、人生を買った人間を出すのならば、 なぜ「人生をとられた人」と「人生を奪われた人間」の 対比を物語の主軸に添えなかったのか?

ラスト10分。人生について色々な登場人物の台詞がありますが、 そられの言葉に全く重みがない、軽い。 演技の問題よりも、唐突だというのが一番の原因みたいです。 本来そういうことこそ丁寧に綴るべきであって、 時間不足なのだとしたら、前半の時間をもっと圧縮するべきだと感じました。 タイトルにもなっているのに、ドロボウの街に居る時間が短い。 意図はしていないのでしょうが、 引っ張った分だけ期待が大きくなり「なんだ……」という印象を抱いてしまいました。

以上、話の本筋を慎重に追う限り、創作脚本賞には少々疑問が残ります。 とはいえ、各部はバランスよく書けていて、 演技、演出等、常連だけあり非常に高い完成度で終始楽しめます。 BGMの使い方(フェード等)もうまかった印象あります。

審査員の講評(の主観的抜粋)

  • 背景美術のついたての後ろが見えたのが残念。 細かい点だが、劇の中の虚構を崩しかねない重要な点。
  • ラストシーンにおいて、主人公が決断するシーンで「口パク」に なって台詞を言ってくれない、結末をお客任せにしていることが気になった。
  • 人生を奪われた主人公と、人生を買った警官の二人の関係(図式)を もっと描いても良かったのではないか。

共愛学園高校「クレタ島の謎の謎」

脚本:中村 勉
演出:川合 和子

劇の概要

まずダンスに始まって、次に3名が出てメタシアターについて説明を始める。 メタシアター、劇中に関する演劇、演劇とは何であるかを 演劇によって考えていくための演劇。 それについて説明している姿も、はたして演劇なのか?  それとも劇に入る前の説明なのか?

演劇部を舞台に、先輩・後輩の間で演劇についてのやりとりと、 演劇関係の内輪ネタ、分かりやすいところで言えば 「どうせ(コンクールの)優劣なんて審査員の好みだよ」 みたいなものが多数出てくる。 演劇関係者しか笑えないネタに少々疑問を覚えながら、 そんなやりとりが約半分続く。 その後、「エチュードやります」と宣言し、 繰り返しエチュードを上演する。

主観的感想

全体的にテーマとの脈絡が感じられず、 本当に演劇の姿を追求する気があるのかな?  と疑問を感じて迎えたラスト近く、 テーマ付近の内容に触れて終わる。 出演者3人は本当によく(素晴らしく)演じられているにも関わらず、 メタシアターとしては少々軽すぎる印象。

劇中に「クレタ人のパラドックス」という台詞があります。 この言葉は「すべてのクレタ人は嘘つきだ」とクレタ人が言った。 このクレタ人は嘘つきか? 正直者か? という問いです。 類似のものとしては「この文章は間違っている」、 さてこの文章は正しいか、正しくないか? というものがあります。 この手の問題をパラドックス(逆説)と言います。 演劇というのは、現実を描いた虚構だし、 虚構なのに舞台の上で実際に起こっている現実です。 このパラドックスを、クレタ人のパラドックスに引っかけて 『演劇』の姿に迫るのが本来の狙いかなと感じました。

余談ですが、矛盾を追求し、 矛盾が抱える問題を分析することで真の姿が見えてくるというのは、 1900年代始め頃、数学(や哲学)の世界でよくやられた手法で、 クレタ人のパラドックスもこの文脈で出てきます。 背理法というのものをご存じでしょうか?  矛盾を導き出す事で、ある事実を証明する方法。 数学の世界で「どんな集合よりも大きな集合が存在する」って証明が 丁度この背理法を用いており、 矛盾によって更に大きな世界の存在を示しています。 そして、この証明法をほんのちょっと変えるだけでパラドックスが得られます。

完全な私情ですが、これを演劇に類推して 「演劇の中から、外の世界(現実)」を描けたならば、と残念に思います。 テーマに対する理解・説明がやや不足した印象を受けてました。 しかしながら、劇としての完成度は高い作品です。

審査員の講評(の主観的抜粋)

  • 最初と最後に演じていたダンスが、 そこら辺のダンス部を超える完成度で凄かった。
  • 演じてる方は「メタシアター」が何であるか本当に分かってやっているのか?  観ている方はなんだか分からなかった。