伊那西高校「BORN帰り」

お盆帰りにかけた題材の話。黒子がトトロのまっくろくろすけ的な「存在し普段は見えないもの」として舞台上で扱われます。黒子ありきなのはわかっていますが、それは分かった上で「この黒子が視覚的にうるさい」。舞台上で黒子が出てきたら見えないものとして扱うという約束を何の説明もなく崩し(しかも観客に新基準を示すことなく)演出するので、見せたいものか見せたくないものかがよくわからず、とても中途半端に見えてしまいました。

一生懸命作っているのは分かるのですが、動作が雑に感じられ(静止がきちんとできてないし、ひとつの動作の最後まで動ききれてないため)、BGMも照明効果も演出も過剰に説明的すぎて残念。例えば、対象が死者であることを表現するために、三途の川を表現(布ひらひら)するのは説明的すぎる演出で、このようなものが随所に見られました。

また笑いを狙ってギャグをしているのですが結構不発してた印象があります。ふざけて突拍子もないことをしても観客は笑わないのです。1回目は笑うかもしれませんが、最初だけになってしまいます。観客が予想していることを裏切ると自然と笑いが起きますので、気をつけてみるといいと思います。

丸子修学館高校「K」

カフカの「変身」をやりたかったという部員の方たちが、カフカ作の「変身」「城」「審判」を題材かつエチュードにしながら、カフカの人物像に迫る演劇(wikipediaによるカフカの説明)。多人数でカフカの不条理エチュードを挟みつつ、コメディのノリでウケを取りつつ、それでいながらカフカの人物像を描き出していくという非常に面白い上演でした。

カフカの変身は以前高校演劇でみたことがあったため、とても興味深くみてました。抽象的なセットも見事だったですし、エチュードをバラバラにしながらもひとつの魅力的な話筋としてまとめあげた力量には感服するばかりです。ちゃんと三作品のあらすじ紹介にもなっているのだからすごい。これを見れただけでも、関東大会見た甲斐がありました。(追記。案の定、最優秀賞でした)

松本筑摩高校「回転木馬とジェノサイト」

脚本:木村 哲
演出:加藤 真記

あらすじと概要

少女トモコ失踪事件の調査を頼まれた探偵(男)とその秘書(女)。手がかりは唯一、意味不明な手紙のみ。回転木馬、ジェノサイド? 1+1は2ではない世界? 鏡の向こう? 哲学的なタームにまみれながら、事件の真相に迫る探偵たちのたどり着いた結論は……。

主観的感想

パンフレットによると、部員たった2名が関東大会に!? 一体どういうものを見せてくるれるのかとワクワクドキドキしながら開幕を待ちました。昔の顧問が残した本(台本)ということで、内容的にはやや難しめでしたが、それでもよく内容を理解してどう見せるか考えて本当に頑張っていました。部員数が少ないなんて何の言い訳にならないのだと思い知らされた演劇です。

二人で一体どう見せるのかと思ったのですが、舞台を左右二つに切って右手側に探偵事務所でありコンビニの事務所であり、特に学校の職員室となるデスクの置かれたセット。左側には象徴的なモチーフを光で演出した何もない空間。基本的に男が探偵役のときは、女は少女の母親、男が担任の先生のときは、女が探偵秘書というように左右の装置と場面を切り替えながら、そのときの人の出入りに時間差を作ることで「暗転」の時間を極限まで減らした見せ方には見事としか言いようがありません。

気になった点としては事務所の裏がパネルだったのですが、6尺だったのでやや低く感じたところでしょうか(あと3尺高くだそうです、他校はみんなそうしてました)。また、男の方の声の演技にメリハリがもうちょっとほしかったところ。動きなどは大きくできていてとても良かったんですが、声の方がやや物足りなく感じました。あとは、探偵からコンビニ店員、はたまたトモコの親友と変わったときに、服装以外の演技としての変化も出たらよかったなぁーと思いました。

とはいえ、人数が2人しかいないということで、場面(舞台)転換をなくし暗転時間を極力0にするように工夫するなど、制約から創作は生まれるという言葉を体現しているような、演出的な取捨選択のセンスが非常に優れた本当に良い演劇で、役者の演技としても難しい本をきちんと解釈し伝えようという心意気を感じる良い劇でした。

審査員の講評

【担当】若杉
  • 二人の演技のレベルが大変高く、丁寧に作られていた。感動したが、完成度が高いだけ余計に「こしたらよかったのに」「ああしたらよかったのに」と感じてしまった。
  • 一人が何役もしているわけですが、衣装とかヘアスタイルとか演技の声とかをもっと変化が付けば、内容がより伝わったんじゃないかと感じた。そのせいか、ストーリーがよく伝わってこなかった。
  • また演技はよく頑張っていたが、照明や効果が手薄になってしまった。
  • 衣装の色味を変えてみるとか、事務所の小物を変えてみるとか、人手が足りなかったのだとは思うけど、ここまでできたのだからもっと工夫できたのではないかと感じてしまった。
  • これで演技以外に力が入れば、総合芸術としての舞台がもっとよくなったと思う。

岡谷南高校「変身」

原作:フランツ・カフカ
脚本:スティーブン・バーコフ
演出:小松 佑季子

※優秀賞

あらすじと概要

父と母と妹と。主人公グレコーザムはある朝目覚めると毒虫に変わっていた。稼ぎ頭で家族たちを支えていた優しい兄の変貌に、動揺する家族たち。兄が出勤しないためにやってくる会社の上司。どうしようどうしようと苦悩する兄。

主観的感想

舞台の写真がないのが残念で仕方ありませんが(どこかにアップされてないんだろうか)、幕が上がって、まず壮大な舞台装置に驚きました。毒虫というモチーフを巨大な金属製オブジェで、その中にいる兄の動きを通して毒虫に見せるというまさしく「唸る」演出。家族3人も、具体的に掛け合うのではなく、舞台に対して等間隔に置かれた3つの椅子の上で、とことんまで抽象的な動きを見せることで場面を想像させる。また照明や効果音を実に有効に使って、毒虫になった兄や家族とのかけあいをコミカルな動作で描いていく。ここまで芸術的な高校演劇があるとは、ほんとにびっくりしました。

個人的な話になりますが、ストーリー性のないものや起承転結のないもの、テーマ性のないもの、小難しいものはあまり好きではありません。つまり好きではないタイプの劇だったのですが、にも関わらず「これはすごい」と感じ、芸術として有りだと感じさせてくれたことに本当にびっくりしました。動作の演技において徹底的な省略と記号化そして誇張がされており、音については加工処理がとてもうまくされていました。

お話自体は、まあ救いのない悲劇というか「実に演劇らしい」内容で、それを「面白いかどうか」という尺度で考えた場合、評価は難しいところですが、こういうのも演劇だよなと感じさせてもらいました。ただ一つ、バイオリンのソロのシーンの効果音がソロではないものを使っていたので気になりました。ここまで作ったのだから、ソロバイオリンを何としても用意してほしかったなと欲を言えばそんなところです。

審査員の講評

【担当】西川
  • 幕が開いた瞬間にびっくりました。巨大な虫のオブジェが舞台一杯に広がっていて。
  • ある朝起きたら突然大きな毒虫に、家族の大黒柱がとつぜん要らない存在になってしまい、その兄が瞬間に家族に希望が見えるというまさに不条理劇だったと思う。
  • 装置がとてもうまいなーと感じた。そして音も照明もタイミングを外さない。
  • この芝居は台本を読んでも状況説明が多く書かれており、大変難しい。それらの状況を台本を読んでいない観客に伝えなければならないのだけども、成功していると感じた。
  • 他の審査員から出たのですが、形でもって型にはめていく演出を取っていたが、この方法では空間が無機的になっていく。その状況において家族の心理が兄から離れていくという描写が十分だったのかと考えると疑問を感じる。
  • 全体としては心理劇であるわけで、今回はこういう演出をとったわけだけども、もっと他の考え方で心理劇をきちんと描くという方法もあったのではないかと感じた。

清泉女学院高校「ヘレン・ケラーをめぐって」

脚本:ウィリアム・ギブソン
潤色:演劇部
演出:演劇部

あらすじと概要

盲目で耳の聞こえない少女ヘレンケラーとその教育係サリバン先生の物語。

主観的感想

有名な話みたいですが、自分はタイトルしか知りませんでした。大胆に脚色しているようです。目が見えなくて、耳が聞こえないヘレンは言葉も覚えられず到底人間らしいことはてきないわけで、それを甘やかす親となんとかしようとするサリバン先生(女性)という構図です。

何と言っても主役、ヘレン役。必死に手を動かし物を探っている演技をしていました。はい演技でした。残念ながら、目が見えた動きなんですよね……見ていて参ってしまいました。手を動かしてるのが、目が見えないフリとして手を動かしているだけなんです。目が見えない人は手で位置関係を把握しながらものを探るんです。さぐるぐらい動物だってしますよ。あんな闇雲に動かしたりしません。一度でも目隠しをして動いてみれば、すぐに間違えに気づけたはずですが、どうしてそれをしなかったのか不思議でなりません。

ヘレンは言葉が喋れないので、終始うめき声を発しています。このうめき声に感情がまるでこもってません。ヘレンの動作全体についても言えます。犬の吠える音だって感情こもってますよ。生まれてすぐの赤ん坊だってそうです。いくら人間らしい発育ができなかったとはいえ、それぐらいのことはできるのです。むしろこのお話はそういう部分を丹念に描くことが最も重要なのです。感情のある動き、うめき声。人間らしい知能を備えてないということに捕らわれ、深く考えずに演じてしまったせいでしょう。

これは他の役にも言えることで、例えば教育係のサリバン先生役。ヘレンがダダをこねて全く言うことを聞かないとき、永遠と、そして根気強く正そうとするですが、終始無言。例え相手に聞こえなくたって、感情の高まりとして声が出るでしょう普通。例えば、熱中して本を読んでいるときに犬がしつこくじゃれあってきたら、思わず「うるさいなぁ~」と言うこともあるでしょう? ヘレンに対する動作とかにも感情がないんですよね。やさしさしさなのか、いい加減うんざりしたのか、そういうのもあるでしょう?

ミッション系の学校ということでおそらく「台本ありき」で、その題材に対して最大限を尽くしたということなのかもしれません。演技の懸命さは、切々と伝わってきましたし余程練習したのもよく分かります。その努力は大いに買いたいのですが、演劇である以上「演技」や「感情表現」、「演出」という意味で疑問を投げざる得ません。大切なのは感情なのです。演じるということは、役柄の感情を懸命に解釈し役と同化することなのです。台詞に捕らわれてはいけません。大半の台詞に意味はありません。その裏の心の動きに意味かあるのです。今後はぜひその点に気を付けてください。きっと今よりずっと良くなるはずです。

細かい点

  • アニーや母親が早口すぎます。精一杯演じすぎてます。肩の力を抜きましょう。ご婦人(貴婦人?)の「ゆったりとした上品さ」を出すように意識してみましょう。
  • 途中、明るいところで場転があり気になりました。
  • 井戸のシーンで、本物の水を使っていたのはびっくりしました。よく出来ていましたが、このシーンに本物の水はそれほど必要だったのでしょうか? 作品のテーマを、心の葛藤(パンフより)を描くのに本当に必要だったのでしょうか?
  • この井戸のシーンで家の中の照明が同時に点いているのが非常に気になりました。どっちを見せたかったのでしょうか? 見せて意味のないところの照明は消してください。
  • 照明を消して真っ暗になった状態でどんちょうをおろすので、終わったというタイミングが非常に分かりにくく感じました。

審査員の講評

【担当】勝島 譲吉 さん
  • ほとんどの人が見ている翻訳劇で、カッティングをして上演してたけど、大変だったと思う。
  • やっぱり色々と大変だったのもあり、パンフレットなどによると教育係のサリバン先生に焦点を当てたかったようだけど、どうしてもお客の目はヘレンに向いてしまう。
  • パネルを5枚立てた抽象的な装置だったが、一体(パネルは)何を意味しているんだろうと疑問を感じてしまった。
  • 芝居というのは「観客がどう感じるか」が大切で、それをするためには役者だけでは無理で、演出がきちんと見てあげないといけない。
  • 大変だったろうけどよく作ってあった。