高崎商科大学附属高校「先生、放課後って何時までですか?」

作:大渕 秀代(既成)
演出:川田名菜美

あらすじ・概要

先生が見回りしていると、校内で生活している女子(神倉)を発見し職員室に連れてくる。親に連絡するとしばらく来れないという。ふとした物音から校内を探索すると他にも校内に潜んでいる生徒が何人も見つかり……。

感想

以前の県大会で大田フレックスでの上演を見ているので2回目になります(タイトルで検索すると台本が出てきます)。舞台両側を幕で多少狭めパネルで作った職員室。奥が廊下。上手にテーブルや棚、中央上手側に教員机を相向かいで2つ。下手に低いテーブルとよく職員室にある茶色いソファー。掲示板や窓、スピーカーなどなど本当によく出来た職員室です。これだけ力の入った装置を作るのはどれだけ大変だったことか。ただ1つ気になったのは、職員用の椅子が2つとも動くたびにキーキーうるさかった。ものすごく気が散るので、油をさすとか、調整するとか、そこはなんとかして欲しかった。

この学校もキンキン声を貼ることもなく、力の抜けた良い演技でした。間の使い方も素敵。みんなうまいので、神倉母が少し早口だったのがちょっと気になったのと、警備員の人もうちょっとがんばってぐらいかな。

アイテムとして「亀」が出てきて、最終的にこの「亀」は神倉にプレゼントされるんですが、なんかあっさりしすぎてた印象があります。遠目に水槽が空に見えたのも影響してるのかもしれませんが(何か入ってた?)、「先生が大切にしていた亀を、亀を気に入った神倉にプレゼントする」という流れの「先生が大切にしていた」という部分も「亀を気に入った神倉」という部分もよく伝わってきませんでした。以前見た上演ではもっとそれが伝わってきた記憶があるので演出的配慮が足りないのかな。

大渕先生のこの台本視点が先生なんですよね。最後になるまで視点が先生だと分かりにくかった。高校演劇はその性質上「生徒の視点」であることが多いので、序盤で「先生視点の物語ですよ」っていう演出的配慮をしたほうがよかったかも知れません。また視点が先生ということで劇を作る上で難しかったんじゃないかな。ラスト付近になると「無力ですね」という決定的な台詞が出てきます。この台本は「個々の事情を抱える生徒たちと、その生徒に対して無力である教員たち」の対比になっています。その無力さを表現しきれていたかな?というと十分ではなかったと思います。

とはいえ、どういう改良ができるかというのも難しい。以前の大田フレックスの上演では、神倉の圧倒的な演技力でこれをある程度成し遂げていたのですが、そう考えると各個々人の「親と子の対立(悲劇)」をもっと丁寧に演出するしかないのかもしれません。演技や見せ方ひとつで印象はぜんぜん違いますからね。対立シーンや対立を際立たせる部分では、平板なシーンとはメリハリを付けて(少しぐらい過剰に)演出したらよかったのかもしれません。普通の会話と、親との部分では態度も発声もぜんぜん違う、本当に嫌で嫌でしょうがない感じとかとか。親とのシーンでコメディ的演出を避けなかったこともテーマを分かりにくくした印象があります。

全体的に、台本をきちんと読み込んでちゃんと上演していましたし、装置もほんとうに良く出来てました。演技もうまかったし楽しめました。上演おつかれさまでした。

高崎商科大学附属高校「雰囲気のある死体」

作:別役 実(既成)
※優秀賞(関東大会へ)

あらすじ・概要

入院患者とその両親と、廊下に置かれた死体と、切りたくてしょうがないお医者さまとが織りなすコメディタッチの劇。

感想

ベッドが3つ置かれた舞台。病室ということらしい。力の抜けたきちんとした演技で、台詞のトーンもきちんと配慮されていて、安心して観ることができました。

台本は中身がまったくないバカでくだらない台本です(褒めてます)。よく演じられていたんですけども、もっとコメディに振ってしまってもよかったのではないかと思います。観客の視点だと、演技のトーンが「コメディ」じゃなくて「シリアス」に感じられてしまったので、ちゃんと「コメディ」であることを伝えればもっとウケが取れたと思うんですよね。序盤で「コメディ」と分かる演出をしてまうのも一つの方法だったのではないかと思います。

そして逆に死体の扱い。コメディでもあったので、死体の中から「違う人が出てきたり」「生きてる人が出てきたり」するのではないかという疑念が最後まで拭えませんでした。死体が異質なものという印象を受けることができませんでした。これは出演者の演技からも、扱い方からも感じられました。顔も隠れてますし。

つまり、コメディとシリアスの混在する台本なのに、どの部分がどっちなのかハッキリ見えてこない。どっち付かずの上演だったことが大問題だと思います。演技のトーンもほぼ一定。演技の基礎力は十分あるのですから、シーンごとのメリハリや全体を引いた立場で見せ方を配慮すれば達成できたと思うのです。そう思ってパンフを見るとやはり演出不在。ほかの観客も「ここは笑っていいシーンなのか?」と随分悩んでいたように思います。

ちゃんと演出してください。演出的配慮が皆無なので申し訳ないけど入賞するとは思いませんでした。面白いのは面白かったのですけどね。

高崎商科大学附属高校「修学旅行」

作:畑澤 聖悟(既成)
※優秀賞(関東大会へ)

あらすじ・概要

修学旅行で同じ部屋の5人。旅行地は沖縄。旅行も終盤となり、恋話に花を咲かせていると……。

感想

2×5のござのようなもの(固定されてる)が置かれた10畳の部屋に布団が5つ川の字に敷かれている。

女子5人の非常にワイワイとした上演で、服をきちんと分けていたり配慮もされていたなと思います。元気いっぱいでワイワイ感がよくできているなと感じたのですが、全体的に少し早口であるようにも感じました。もう少し力が抜けているといいかも。講評でも指摘がありましたが、キーとなる口癖の「でー」があまり目立たなかったので間をとるとか発音を変えるとか必要だったと思います。最後の「でー」も聞こえなかったし。

最初は少し固かったけど、先生が滑ってコケそうになったあたりから(たまたま?)引きこまれて面白くなってきました。マクラ投げは面白かったです。マクラが大量に出てきたのは本当にひどいですね。とても楽しそうでした。その先生ですが、先生っぽく気を使っていたのに少し動作と発音が速かった印象があります。大人はもう少しゆっくり動きますので注意しましょう。特に、早く捌けなきゃみたいな焦りが見えました。これと関連しますが、舞台全体を部屋とすると広すぎるので左右にパネル立てたり、幕や照明で狭めるぐらいできなかったのかなという印象はあります。別に舞台の外を部屋と廊下の境界にする必然性はないですよね?

全体的に

台本の面白さをよく演じていたとは思います。元気いっぱいなのもよかった。

苦言を呈するなら逆にそれだけだった印象が強いです。5分残りましたし、もっと力を抜いて間を大切にするところを作っても良いと思います。全体的に間が早く、台詞の言い合いになっているシーンが非常に多かった気がします。あと全体的にはコメディだからもっとコメディしても良いですよね。

高崎商科大学附属高校「白犬伝 ある成田物語」

作:タカハシナオコ(既成)
演出:緒方香帆里

あらすじ・概要

1970年。ある家庭に拾われた白犬ツル。翌年、家からいなくなったソノコを追うため、ツルは成田へ向かった。成田で出会ったソノコは成田闘争をしていて……。

「高校演劇Selection 2004下」収録作品。

感想

冒頭、犬の鳴き声にあわせて演技することで「この人物が犬だと示す」のはうまかったと思います。「私は犬である」って台詞要らない。その後、犬がソノコに拾われ、家庭でのやりとりが白幕(白いベール)の奥で行われるのですが、これは必要だったのでしょうか。講評では評価されていましたが、単純に見づらくてしょうがなかった気がします。幻想やベール向こう側、ステレオタイプで形骸化された(ソノコの)両親などの演出意図があったとしても、演劇リアリティを多大に犠牲してまで成功してたとは思えない。別のやり方があったんじゃないでしょうか。

さて、ソノコの姉が亡くなり、ソノコは姉とよく似た人を追い成田闘争へと身をまかせ、犬のツルは人間に化けさせてもらいそれを追いかける。裏の白幕が避け、舞台は成田の小屋。裏面の黒幕の切れ間に吊るした板があって、そこに「農地死守」「この必死の農民魂を見よ」などの断幕が貼られています。その割に、照明は舞台全域に当てられていていました。小屋で闘争するという舞台設定を考えると照明を中央のみに絞ることはできたのではないでしょうか。どちらかというと小さい小屋(演劇小屋)向きの台本ですし、そうであるべきだったように感じます。

講評で指摘のあったとおり、裏面がなぜパネルでなく吊しなのかは言われてみれば疑問が残るところです。ラストシーンを考慮したとしてもパネルにして左右に開く手もありましたよね? ラストシーンの裏壁が釣り上がって逆境にジュラルミンの警察隊が浮かび上がる姿はたしかに見事だったので、それをより活かす意味でも再検討してほしいかも。

力を抜いて非常によく演じられていて、人物もきちんと演じ分けられていました。

全体的に

時代背景ものでありながら、ありがちな「時代背景への深入り」をすることもなく、あくまでツルとソノコの物語に収まっていた点は高く評価したいです。これが守られていた時代背景ものは今まで県大会ではなかったと記憶してます。こういう台本って時代背景に囚われ過ぎるという罠があるので難しいのです。ラストシーンも非常に良くシロやソノコの胸を打たれる部分もありました。

その一方で、それでもやはり中盤成田闘争に傾き過ぎたなという部分があります。中盤はもっとシロとソノコ、ソノコの姉によく似たユカリの関係に注意して演じることはできたのではないでしょうか。人物の性格付けはできてた反面、それぞれがそれぞれに対してどう思い、何を感じているのか充分に演じられていたとは言えません。また成田闘争を背景とし「命かけてない人がこの場にいちゃいけない」という割には、闘争に参加している「スズコ」や「ヤスコ」そして「ユカリ」にその気迫や無念さ、もしくはやりたくないけど巻き込まれちゃったなって部分が見えてこなかった。

特にツルはこの複雑な状況における気持ちがもっともっと見えて欲しかった。ツルの、突然出ていったソノコへの想いはどんなものだったんだろうか。ソノコを見つけた時に何を感じたのだろうか。好意? 居場所を持っていることへの羨望? もしくは自分を置いていったことへの怒り? 連れ戻すに連れ戻せない気持ちはどんなものだったんだろうか。元気なギャグキャラに成り下がってたようにも感じられます。そしてソノコは、勢いで来てしまったこの場所に何を感じていたのか、ユカリへはどう想っていたのか。そういうものがもっと見えて欲しかったと思います。

そしてラストシーンの映像投影はやっぱり要らないよね。これはあくまでツルとソノコの物語なんだから。

高崎商科大学附属高校「見送る夏」

作:越智 優

あらすじ・概要

夏休みの宿題をするため早枝子の家に集まった友人3人。そして、早枝子の家に居候している従姉妹の茉莉。わいわいがやがや、遅々として進まない宿題と暑い夏、そして茉莉はなぜ居候しているのか。そこへ茉莉の姉がやってきて……。

感想

舞台中央に畳が置かれた6畳程度の空間。丸ちゃぶ代と木製の棚とクラーラーとテレビ。なぜ部屋部分以外の照明を思い切り明るくしていたのがもったいないと思いました。照明を中央部だけに限ればそれだけでグッと部屋っぽくなったのかもしれません。夏っぽさとしては全体が明るいのはアリなのですが、雨のときに(明るさの)差がついたらよかったなあ。物語の大切な空間としての「部屋」がないがしろにされた印象があります。

友人達の一部が声が聞き取りにくかったのですが、4人+茉莉のワイワイガヤガヤとした年代相応の元気さがよく出ていたと思います。服装のかぶりにも配慮され、叫びから止めに流れるテンポの取り方も考えられていました。途中携帯は実際に鳴らしてたのかな? あとまんじゅうを実際に食べていたところなど必要なリアルの追求は評価したい。

しかし、演者には申しわけないですが、塔子(茉莉の姉)に振れないわけにはいきません。ものすごく頑張って演じているのはよく分かるのですが、残念ながら一人浮いていました。茉莉たち子供に対する唯一の大人の役割なので非常に重要で、他の人物を演じることに比べても難しいのですが(だから他の人より下手ってわけではないのですよ)、台詞のトーンで大人っぽさを意識しすぎたために真に迫って来なかった。重みがでてなかった。

台詞を速く言わないよう注意して演じられていたんだけども、それでもやや速くだったことと、1行の台詞の中での強弱(と速さの変化)がついてなかったこと、リアクションができてなかったこと、相手の台詞を受けての発声でなく順番で台詞を言っていたことが災いして「台詞を読んでいる印象」が強くなってしまったことが原因に感じます。1行の台詞の中にも気持ちの変化や思考の変化が入っているので、そこがもう少し出せたらなあと惜しく感じました。

じゃあ他の4人ないし5人は完璧だったかというとそうでもなくて、にぎやかなリアルが追求されていてよく演じられていた反面で人物の演じ分け(性格付け)まではみえてこなかった。茉莉はシナリオの立場として違うものの、4人は仲良しの4人であって1人1人までは区別ができなかった。台詞の裏にある関係性まで出てきたらもっとよかった。細かいところでは、笑いや面白さを見せるやりとりはもうちょっとオーバーな演技でよかったと思います。

全体的に

劇全体として夏の1コマというシナリオですが「演出意図はなんですか?」と聞かれて、たぶん答えられないんじゃないでしょうか。

夏をテーマに茉莉を含め色々なことがごちゃごちゃと入った台本なので、これといって軸の通った筋立てはされていません。だからこそ、何を見せるかという意識を明確にもって演じないと「なんだったんだ?」という印象が強く残ってしまい薄っぺらく感じてしまいます。儚さ? 哀愁? 過ぎ去るもの? 何かあったのかなあ。

よく努力され、とても頑張って演じられていただけに、それがもったいないと感じました。