新島学園高校「たばこ屋ラプソディー」

作:大嶋昭彦(顧問創作)

あらすじ・概要

学校でタバコが見つかったため謹慎になってしまったゆき子はお婆さんの家に居た。昔タバコ屋だったお婆さんの家。ゆき子はどうしてタバコを持っていたのか、謹慎から復帰することはできるのだろうか。

感想

いつものハートフルコメディ。幕があがりお婆さん3人が花札をしているシーンから始まります。畳の和室が左右2つに分かれていて(ふすまなどはなく続いている)、下手の部屋に仏壇、中央に丸テーブルがあってそれを囲むようにお婆さん3人。上手には四角いちゃぶ台の置かれた居間。居間の奥に閉じられたふすま、その奥に廊下があり、廊下の奥側に階段、廊下の上手に玄関という構造を想像させます。

お婆さんは死んでいてゆき子だけに見える設定だったのかな。後半になってお婆さんが死んでいることが明かされますが、この辺の実在しないものを見せてしまう構成や、人の出入りをうまく使って話を進めたり、見事な部屋の装置を作ったり、時計を置いてそれを動かしたりといつもの新島らしい隙の無い舞台作り。(ところでいつも気になるのですが、あの時計はどうやって変えてるんだろう。あらかじめ設定した同じ時計を置き換えてるのか、暗転ごとに毎回調整してるのかな)

そして見事なのが、高校生・大人(親や先生)・お婆さんの演じ分け。風貌はもちろん、テンポの違い、動きの違いを非常によく演じ分けています。お婆さんについては講評でステレオタイプじゃない?との指摘もありましたが、記号だとしてもお婆さんに見えることはやはりすごい。他校が年配者演じると大体失敗するんですよね……。

学校の先生が家に訪ねてくるところで、母親が娘に対する態度と先生に対する態度(よそ行きの顔)を使い分けたり表情で指図してみたり、母親は背筋が伸びてるのに娘はだるそうに猫背にしてたり、先生方はきちんとしてたり非常に上手い。年齢による演じ分け含め普段から余程エチュード等で練習しているのでしょうか。いつもながら唸ります。

全体的に

いつもどおりの完成度の高さにただただ唸る所ではありますが、年々他校のレベルも上がってきた今、いまいち「ぱっとしない」印象は拭えません。こう言っては失礼なのはわかっていますが、完成度が高いだけなんですよね……。実際2年前に予想したとおりの状況になってる(「だんだん他校の実力もあがっているので他校が骨のある本と演出で勝負してきたときには分からなくなりますね」の部分)わけで……。基礎演技力でも新島とそれほど変わらない高校だってあります。

この物語で重要だったのは「タバコ」というアイテムなのですが、中盤それが完全に忘れられている。元タバコ屋という設定ですが、舞台空間にはタバコ屋の影形もない。タバコとそれにつながるお婆さんに観客の意識を持って行かないとこの物語は成り立たないのではないですか? タバコそのものではなく「タバコを持ってたこと」や「ゆき子の謹慎」に焦点が行っている気がしませんか。

例えば舞台装置がタバコ屋になっていて、(死んで店じまいしたために)片付け中のタバコが置かれていて、その手間にお婆さんがいつも座っていた椅子があり、そこに視線で演技するだけでも全然違ったのではないでしょうか。タバコの他に花札という2つのアイテム分散させる必要もないのでお婆さんが3人も要らなくなり、色々変えることにはなりそうですが。もしかすると部員10人全員に役を当てるというのがまず最初にあったのでしょうか。だとすれば、その最初の制約を克服できなかったのではないかと思います。